はじめに
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私はこの頃、ふと、私には「自分のもの」というものが何ひとつ無いのだなと思うことがあります。この肉体でさえ、魂でさえ、もう自分のものではありません。 神仏に命を捧げた日から、この肉体は、神仏のお使いを果たすためにだけ働いてきました。地位も財産もなく、家族さえ捨てて、いつも丸裸で生きてきたからこそ、私は神仏のご指示を素直に受け入れ、神仏のご意志のままに生きてこれたのだと思います。 この三十年間、私はいつも、貧しいことは決して恥ずかしいことではないと思ってきました。ただ、神仏の心を穢すような生き方だけはしてはいけない、どうすれば神仏の御心を広く世の中の人々に伝えられるのかと、そのことばかりを考えて生きてきました。
法華経で結ばれた木花開耶姫と日蓮大聖人、聖徳太子、身延山を東西からお守りしている木花開耶姫の富士山と七面天女の七面山、そして日像上人によって法華経に帰依された護良親王とそのお子たち。 その壮大なスケールの法縁が大きくうねりながら、護良親王と雛鶴神社の再建を志した私たちを巻き込み、次々と奇跡を現わして下さいました。
平凡な主婦でしかなかった私に、このように大きな仕事を成し遂げさせて下さった神仏のお力に、そして神仏が全てを見通して用意して下さったことでめぐりあえた、沢山の方々のお力添えに、私は深く感謝しております。 この道程は、決して私一人の力で歩けた道ではありません。 身延山の思親閣で私を拾い、修行させて下さった疋田上人をはじめとする身延山の御上人方、坊の方々、学生の皆さん。 東京へ連れて下さった大石先生、一万遍のお題目修行をさせて下さった小倉様、経ヶ岳の塩谷上人。 お守りを出させていただくときにお力添えをいただいた金子猊下、雛鶴神社の再建のおりに多額の寄付をして下さった普明教会の皆さま。 そして私をいつも支えてきて下さった信者の皆さま、そのすべての方々にお力をいただき、助けていただいたからこそ、歩いてこれた道でした。 本当にありがとうございました。 |