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身延大乗結社
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関戸久妙 半生記

1.夫の死から、雛鶴神社の再建を決意

2.次々とあらわれた神仏のメッセージ

3.孤独と不安からの出発

4.身延山での修行

5.七面天女のお姿を霊視

6.木花開耶姫のお姿、聖徳太子との出会い

7.木花開耶姫之図と御本尊、七面天女之図が完成

8.心願成就、雛鶴神社の再建

9.すべての法縁を悟る

 
6.木花開耶姫のお姿、聖徳太子との出会い

 

 大石先生が亡くなられて6年が経ちましたが、私が神さまと約束したことの解決の糸口は、まったくつかない状態でした。
 それで、どうしても、日蓮大聖人が、法華経を埋経された霊地であり、また木花開耶姫がご神体である富士山の経ヶ岳にのぼることにしました。

 

 まる一昼夜、断食してお堂に籠もり、一所懸命にお題目を唱えていたときのことです。
 なんともいえぬ尊い霊気につつまれて、はっと気づくと、木花開耶姫がお立ちになっていました。そして、そのお姿の真上に、はっきりと「南無妙法蓮華経」の文字が浮かんでいるではありませんか。

 木花開耶姫は、法華経に帰依しておられるのだと、そのとき、心から確信しました。

 言葉では、言い表せないこの有り難さ、魂を揺さぶられるようなこの感動を、一人でも多くの方に感じてもらいたい。そのことこそ、天照大神とのお約束、「神も仏もあるということを知らせる」を実現することになると感じたのでした。
 神さまのお声を聞いて信仰の道に入って18年、やっと自らの成すべきことを悟ったのでした。

木花開耶姫

木花開耶姫

 

 そして、さらに、私は、聖徳太子の十七条の憲法にある「和をもって貴しとなす」という教えに出会うことになりました。

 さらには、十七条の憲法には「篤く三宝を敬へ。三宝とは、仏・法・僧なり」ともあります。それは、まさしく法華経の教えからきているもので、日蓮聖人の説かれる三大秘法たる本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇と重なってくるものと思いました。

 

 今の、この世界に最も欠けているのが「和」の精神です。立場、思想の違いはあろうとも、誠心を尽くして「和」を尊び、互いに深く理解しあえたなら、争いはなくなることでしょう。

 そして、その「和」を実現していく上で、何よりも力になるのが仏教です。  仏の慈悲心をもって「和」を実現する。そこにこそ、世界平和の鍵があり、日蓮大聖人の理想である「一天四海皆帰妙法」への道があるのではないでしょうか。

 

 思えば、私のいのちを捧げました木花開耶姫は、富士山のご神体、しかも法華経に帰依しておいでです。その富士山に最初に登られたのが聖徳太子であり、日本で初めて法華経を講義されたのも聖徳太子でありました。日蓮大聖人がご自身でお登りになり、法華経を埋経されたのも、この霊峰富士山でした。

 そして、日蓮大聖人の「日蓮じゃ」という一言によって、私は法華経の導きをいただきました。

 なんという、深い法縁でしょうか。私は、このことに気づいたとき、私が長い間求めていたのは、この教えを描き、信仰をかたちあるものとして、世の中に知らせることだと思い至ったのでした。

 

 このことを深く知るに及び、私は、自分の道場を開こうと決心いたしました。
 また、私は丸裸、一からの出発をすることになりました。

 信仰に入る決心をしたときも、すべてを捨てて家を出ました。身延山にあがる時も、身一つで故郷をあとにし、上京したときも、教会にはいるときも、そして、今回も、いつでも私は、丸裸の身一つでした。

 いま思いますと、だからこそ、神仏のお導きに素直にしたがって、ここまで来ることができたのだと思います。

 

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