関戸久妙 半生記
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4.身延山での修行 |
6.木花開耶姫のお姿、聖徳太子との出会い
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大石先生が亡くなられて6年が経ちましたが、私が神さまと約束したことの解決の糸口は、まったくつかない状態でした。
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まる一昼夜、断食してお堂に籠もり、一所懸命にお題目を唱えていたときのことです。 木花開耶姫は、法華経に帰依しておられるのだと、そのとき、心から確信しました。 言葉では、言い表せないこの有り難さ、魂を揺さぶられるようなこの感動を、一人でも多くの方に感じてもらいたい。そのことこそ、天照大神とのお約束、「神も仏もあるということを知らせる」を実現することになると感じたのでした。 |
木花開耶姫 |
そして、さらに、私は、聖徳太子の十七条の憲法にある「和をもって貴しとなす」という教えに出会うことになりました。 さらには、十七条の憲法には「篤く三宝を敬へ。三宝とは、仏・法・僧なり」ともあります。それは、まさしく法華経の教えからきているもので、日蓮聖人の説かれる三大秘法たる本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇と重なってくるものと思いました。
今の、この世界に最も欠けているのが「和」の精神です。立場、思想の違いはあろうとも、誠心を尽くして「和」を尊び、互いに深く理解しあえたなら、争いはなくなることでしょう。 そして、その「和」を実現していく上で、何よりも力になるのが仏教です。 仏の慈悲心をもって「和」を実現する。そこにこそ、世界平和の鍵があり、日蓮大聖人の理想である「一天四海皆帰妙法」への道があるのではないでしょうか。
思えば、私のいのちを捧げました木花開耶姫は、富士山のご神体、しかも法華経に帰依しておいでです。その富士山に最初に登られたのが聖徳太子であり、日本で初めて法華経を講義されたのも聖徳太子でありました。日蓮大聖人がご自身でお登りになり、法華経を埋経されたのも、この霊峰富士山でした。 そして、日蓮大聖人の「日蓮じゃ」という一言によって、私は法華経の導きをいただきました。 なんという、深い法縁でしょうか。私は、このことに気づいたとき、私が長い間求めていたのは、この教えを描き、信仰をかたちあるものとして、世の中に知らせることだと思い至ったのでした。
このことを深く知るに及び、私は、自分の道場を開こうと決心いたしました。 信仰に入る決心をしたときも、すべてを捨てて家を出ました。身延山にあがる時も、身一つで故郷をあとにし、上京したときも、教会にはいるときも、そして、今回も、いつでも私は、丸裸の身一つでした。 いま思いますと、だからこそ、神仏のお導きに素直にしたがって、ここまで来ることができたのだと思います。 |